左利きは悪魔の作法である

左利き

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私は「左利き」である。

正確には、シーンによって左右の手を使い分ける趣向を凝らす「クロスドミナンス」という人種にカテゴライズされる。

例えば、私は絵は左手で描くが、文字を書くのは右手で、消しゴムや鋏(はさみ)は左手で使う。

更に、箸は右手で使うが、スプーンは左手、ボールを投げるのは左手、楽器を弾くのは右手、葉巻を吸うのは左手など、このように左右の手を使い分ける両利き的な人間には、クロスドミナンスという称号が与えられているのである。

まあ、本質的にはレフティ、左利きである。

 

左利きの全容。

人間界においては、世界的にみても左利きの割合は10パーセント前後と低く、レフティは社会生活において異端視される傾向がある。

また、人類が使用するためのあらゆる道具がマジョリティである右利き用に作られている事実が、左利きにとって日常生活を営む上での大なり小なりの弊害となり得る。

反面、スポーツなどにおいては、サウスポーであることによって優位性を得る場合もあり、左利きという先天的機能が自らのアイデンティティを形成する一つの要因となる側面もあるが。

そういったことから、左利きは意識無意識に関わらず、一部動作を右利き仕様に矯正するなどして社会の都合に合わせる場合もあり、結果的にそれがクロスドミナンスに繋がるパターンが多いといえるだろう。

 

では、本題に入ろう。

左利きの悪魔適性に関してである。

「左利き」という概念は、右利きの対義語である。

それは、光に対しての「闇」であり、太陽に対しての「月」であり、天使に対しての「悪魔」であるように、右利きに対する左利きという概念は、二元性の象徴における陰陽の「陰」の要素を司っている。

例を挙げると、ヒンドゥー教では、左手は「不浄の手」として扱われていることからも、左利きは忌むべき存在として歴史的に社会通念の中に溶け込んでいるのだ。

また、かつては左利きを身体障害の一種としてみなす時代背景も東西を問わず存在しており、まるで左が悪であるかのようなニュアンスの民族意識が、集合意識の中に色濃く染み付いていているように思える。

 

よって、左利きは悪魔的な側面を持つダークネスな存在に置き換えることができる。

その証拠に、キリスト教文化に登場する悪魔はそのほとんどが左利きとして描かれており、左イコール悪という公式が定着していた事実を物語っている。

これはつまり、左利きとあれば生まれながらに悪魔としての素質を持つということを意味しているのである。

 

さて、では我々悪魔はこの社会生活をどのように生き抜いていけばいいのか。

私などは、そもそも白日の下にfor DEVILの看板を掲げて創作活動をしているが、実際この悪魔業のみを生業として人間生活をしのいでいるわけではない。

人として世を忍ぶ生活を余儀なくされている多くの悪魔諸君と同じく、時には不毛な社会活動の中に身を置きながら、その労働によって得た金銭で生活水準を維持する見習い段階の悪魔であるにすぎないのだ。

 

自己に対して誠実な悪魔であるほど、社会という名の闇深き渓谷は峻厳であるのかもしれない。

だが、その憂いの陰には必然と光が存在する。

時として、左利きは「天才」という概念に紐付けされる場合があるのだ。

その所以のひとつに、脳の構造についてフォーカスされることが多い。

通常、ほとんどの右利きの人間は、左脳に言語機能を司る言語中枢が偏在している。

しかし、多くの左利きの人間の言語中枢は、通常とは異なるフォーメーションで右脳と左脳両方にバランスよく存在している場合があるのである。(右脳に偏在している場合もある。)

これは、左手を頻繁に使うことで左半身の動きを司る右脳が活性化されている証拠だと考えることができる。

 

また、左利きは社会通念に沿って臨機応変に右手(左脳)を使うことによって、右脳と左脳をバランス良く使うことに長けている者が多い。

そうすることで、右脳と左脳を結ぶ脳梁の発達を促し、両者の連携がスムーズに行われることにより、より高度な領域である空間把握能力や芸術性を高めることができるのである。

つまり、悪魔は本来賢いのだ。

そもそも、悪魔は裏の道、つまりは大多数の者達が避けて通るマイナーな茨の思考回路を必然と歩まねばならず、そのために世俗とは異なる側面から知恵を絞り出す必要がある。

よって、やはり悪魔は左利きであることが望ましいといえるだろう。

 

そして最後に、反動の理論。

例えば、輪ゴムを遠くへ飛ばそうとするとき、ゴムを後ろへ引けば引くほど前へ飛ぶ力は大きくなる。

恐怖の象徴として日陰の深淵に転げ落ちた悪魔が外界へ這い上がるためには、誰にも頼らずに己の道を切り開いていくしかない。

それは、自らに孤立無援の環境づくりを施すことを意味し、その中でひたすら自己を研ぎ澄ますことによって、虎視眈々と反動エネルギーとしての偉大なライトニングを解き放つ機会を狙っているのだ。

本人とて知る術のないその大いなる雷(いかづち)を放つための後退は、決して人類を陥れるための負の邁進ではないと、今日も私は信じている。

 

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著/臣咲貴王



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