プロフィールにも明記してあるとおり、私は2016年現在、ベジタリアンの食生活を5年以上謳歌している。
ベジタリアンとは、動物性の食品を摂らない菜食主義者のことであるが、このベジタリアンには様々な種類が存在する。
- 肉を食べないだけで、魚介類などは普通に食す「ノンミートイーター」
- 肉、魚介類は食べないが、卵や乳製品は食べる「ラクト・オボ・ベジタリアン」
- 動物性食品を一切摂らない「ヴィーガン」
- 果物や種しか食べない「フルータリアン」
- 固形物の一切を断絶し、光と空気を摂取することで生命を維持するという無理ゲーなる究極形態「ブリザリアン」
など…
その中でも、私は現在ヴィーガンの位置におり、菜食の中でも難易度は高めの動物性食品を一切摂らないという食スタイルに身を置いている。
なので、肉全般、魚介類、卵、乳製品や、それらを使用した加工食品も基本食べない。
現代日本でこの食スタイルを貫くことは、人生というクエストにおいてまさに、「強くてニューゲーム」を選択することに値する勇猛果敢な行為であるだろう。
元来、私は普通に肉を食べる愚直な雑食者であったが、意識の変化から25歳の頃にベジタリアンにシフトチェンジしたのだ。
始めはラクト・オボ・ベジタリアンからスタートし、食品に関する知識を深めつつ徐々に身体を慣らしていき、2015年にようやくヴィーガンに進化を遂げた。
肉食界を辞して間もない頃は、ヴィーガンになるなど雲を掴むような神話的概念であったが、結果として無理なくヴィーガンに移行し、今では当たり前のように完全菜食の道を孤独に歩んでいる。
ベジタリアンになる理由は人それぞれであるだろう。
健康意識からの体質改善目的であったり、動物愛護の観点からくる倫理的理由であったり、元々の体質、宗教的理由など様々であると思う。
ちなみに、私がベジタリアンになった理由は一言で巧みな表現をするのは難しいところである。
それは、先進国の食肉産業に対する不信感から始まり、倫理的観念に反旗を掲げるがごとき屠殺環境に垣間見る疑問符、動物性食品が人体に及ぼし得る悪影響の考察や発癌性の示唆、スポンサーである非人道的食品メーカーに媚びて肉食を煽るマスメディアの利己的な宣伝活動に対する憤りや、そこから生まれる本国運営方針への強い猜疑心を母体とする反骨精神の表れ。
そして、ゴールド&シルバーアクセサリーブランド「xCROWxNILxTAILxCOCKx」の運営責任者としてのブランディングにおける精神性に説得力を付加する目的であったり、肉食廃止による私個人の身体的変化とそれが及ぼす人生への影響に対する期待感も非常に大きい要素であった。
これは現時点での結論に過ぎないが、私はベジタリアンになってから体調を崩したことはなく、5年間全くの健康体を維持している。
また、風邪を引いたとしても風邪気味以上の苦痛を伴うことはなく、二日もあれば完全復活可能な身体に仕上がっている。
それは、事実として免疫力が向上したのか、肉食の弊害を知識として蓄えたことによる精神的なプラシーボ効果の現れなのか、または他の何らかの要素が影響したのか、それを完全証明することは不可能だろう。
しかし、事実としてベジタリアンになってから、私が以前より優れた身体機能を手にしていることは確かなのだ。
余談であるが、私は完全菜食者ではあるものの、その決定権は己にあるので、年に2回だけは魚介類を食べても構わないという独自のしきたりを設けている。
そして、もう一つの自己ルールとして、稀に発生する洋菓子などの頂き物については、卵、乳製品を使用したものであっても摂取可というグレーなルール設定もしてある。
まだそこまで人間を捨てていないので、お断りすることで角が立つことを回避したいのだ。
但し、肉は鳥肉、豚肉、牛肉、たとえ人肉であっても断じて食さない。
あと、ベジタリアンの項目からはピントがずれるが、危険性が示唆される食品添加物が添加された加工食品についても避けるようにしていたりと、独自の複雑な食文化を築いているお陰で、俗世間との乖離感が否めない点が玉に瑕である。
賛否に関係なく、私は一人のクリエイター、芸術家、表現者としてあらゆる視点から世界を鳥瞰図で捉え、それが社会の流れに背く行為であるとしても、個の正当な道筋を追求し続けることは一種のカリスマ性を宿すうえでも重要な責務であると考えている。
勿論、ヴィーガンというステージは私のゴールではなく、食生活のデザインに関しては今後においても展望を孕んでいるので、鬼が出るか仏が出るか、行く末に興味を持っていただければありがたい限りである。
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著/臣咲貴王